「夕闇も、悲しみも、獣の血も、感情ない造物も、慈しみも、私を止められない。
疾れ、私こそその全てを見晴るかす彼方」───檸檬堂 怒怒雨豪
何故俺がズボンを履いているのかというと、この世に法があるから、かな?
いや───違うか
俺がズボンを履いているのは他人どものせいだ。俺の飾り気のない小さな、でも真実のある姿を見ようとせず、嘲笑し、侮蔑するその他人のせいだ。
ズボンを履かなければ外を歩くこともままならない自分に腹が立つ、情けない、これは精神の問題だ、常に恥じらって自分を隠す。
しかし、常に真実はその隠れ蓑の中にこそ宿っているのはずなんだ。
俺達は恥を知るが故に隠れ蓑を求める。そういえば遠い彼らもまた、知を得ることによって恥を得た、隠れ蓑を求めた。
つまり、俺たちを縛るそれは神か?
なんと厄介な。
泣きたくなる、敵はデカすぎる(デカい敵は強い、長生きしたきゃ覚えておいて損はない)。
せめて、信頼できる友と、優雅な孤独と、探究する苦心を抱く自分と、全裸で向き合っていたい。俺はそうありたい